昔、男ありけり:行く蛍(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月二十五日 火曜日)3

| コメント(0) | トラックバック(0)
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,802目です。

    お天道様、今日もまた苦しみながら十五ヶ条を達成します(20251124十五ヶ条に改訂)

第三条/第十五条)一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生日まであと14,890日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない! 

海軍五省(4/5):努力に憾みなかりしか

(目標を達成するするために努力を惜しまなかったか)

英語版(3/5):Did I lack effort?

経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

 https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。


業平が 最近どれか わからない その不思議さも 味はう千年


<服務の宣誓(自衛隊)>

 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事

25日(火):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️「伊勢物語⭕️」
26日(木):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX
27日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」
28日(金):「暦注」「修行じじい「大東亜戦争」
29日(土):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX
30日(日):「暦注」「修行じじい「伊勢物語」「総合経済対策」
12月1日(月):「暦注」「修行じじい「ドメイン」「総合経済対策」

 世界最古の歌物語、伊勢物語は第四十五段です。まずは原文から。

むかし、男ありけり。人のむすめのかしづく、いかでこの男にものいはむと思ひけり。うちいでむことかたくやありけむ、もの病みになりて、死ぬべき時に、「かくこそ思ひしか」といひけるを、親、聞きつけて、泣く泣くつげたりければ、まどひ来たりけれど、死にければ、つれづれとこもりをりけり。時は六月(みなづき)のつごもり、いと暑きころほひに、宵は遊びをりて、夜ふけて、やや涼しき風吹きけり。蛍たかく飛びあがる。この男、見ふせりて、

ゆくほたる 雲の上まで いぬべくは 秋風吹くと 雁につげこせ

暮れがたき  夏のひぐらし ながむれば そのこととなく ものぞ悲しき

(宝徳超訳)
 久しぶりに業平らしき男が出てきましたね。この二首は綺麗ですね〜。いいなあ、私もこんな和歌が嫁いないかなあ。

 娘が、業平をひそかに慕っていました。しかし気持ちは表にあらわせず、死んでしまいます。その死に際に娘は親に告げます。私はまだ、親しい同年代の女性が亡くなった経験はないなあ。どんな感情は自分に訪れるんだろう。

「私、実はあの殿方を慕っていたの」娘の死後、親は、男のもとに行って「実は私の娘はあなたのことを慕って、恋死にいたしました」「ええっ!そんな...」男は衝撃を受けます。会ったことも無い娘が自分を慕ってくれ、恋死したと聞いて。しかし、いかにも残念です。

「そこまで思いつめていたんなら、せめて一言、なんで相談してくれなかったんだ」しかし、今更どうにもならないです。時は水無月の末。

「夏越の祓」です。一年前半のケガレを祓う時期であり、死者があの世に旅立つ時期でもありました。

夜、すーーっと飛んでいく蛍。それを見て男は、ああ蛍よ、雲の上の雁に、告げておくれ。地上では秋風がふいてきたよと。たまりませんね。この歌は。

古来、雁といえば匈奴の国に捕らえられた蘇武が、雁の足に文をくくりつけて本国に知らせたという故事もあり、この世とあの世とを行き来する鳥とも言われ、男は、一度も逢うことのなかった娘の魂に、思いを馳せるのでした。

夕されば 蛍よりけに 燃ゆれども 光見ねばや 人のつれなき

(夕方になると私の心は蛍より激しく燃えるけども、を放っているわけではないので、あの人には伝わらず、の人は私につれないのだろうか)

蛍と恋は恋心の象徴として歌に詠まれることが多いです。

(現代語訳)

昔、男がいた。大切に育てられていたある女が、どうにかしてこの男に気持ちを伝えようと思っていた。しかし思いを表に出すことができなかったのだろう。病気になって、もう死ぬという段になって「私はあの人のことをこんなふうに思っていたのよ」と言ったのを女の親が聞きつけて、泣く泣く男に告げたところ、男はあわてて来たが、女は死んだので、なすことも無いまま喪にこもっていた。時は六月の末。たいそう暑い時分に、宵は亡くなった女を慰めるために管弦を奏し、夜がふけてくると、やや涼しい風が吹いてきた。蛍が高く飛び上がる。この男、蛍を横になったまま見て、詠んだ。

飛び行く蛍よ、もし雲の上まで飛んでいけるなら、地上ではもう秋風が吹いているよと雁に告げてくれ。


なかなか日が暮れない夏の長い日中。ぼんやり物思いに沈んでいると、何とはなくもの悲しい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10735

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年11月25日 04:15に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月二十五日 火曜日)2」です。

次のブログ記事は「今日の暦注(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月二十六日 水曜日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。