修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月二十一日 金曜日)2

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,789通目です。

    お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します

第一条/第十三条)真実の瞬間の実践:この年。この月。この日。生涯中にこの一回他のあらず

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生日まであと14,8954日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない! 


海軍五省(1/5):姿勢に悖るなかりしか

(誠実さや真心、人の道に背くことはなかったか)

英語版(1/5):The Five Reflections:Hast thou not gone against sincerity?

経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

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ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。


天下布武 このコンセプトが 信長の 目を開かせて 天下統一へ


<服務の宣誓(自衛隊)>

 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事

21日(金):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️「大東亜戦争」
22日(土):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX
23日(日):「暦注」「修行じじい「伊勢物語」
24日(月):「暦注」「修行じじい「ドメイン」
25日(火):「暦注」「修行じじい「伊勢物語」
26日(木):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX
27日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」

1.本位制の失敗❼:織田信長と寺社
  本位制とは少し外れるかもしれませんが。織田信長(以下、信長)は、TVでNHKやブラックメディアがやっているような人間像ではありません。本当は戦が弱いどちらかというと、情けない武将でした。おそらくその信長を覚醒したのは斎藤道三(以下、道三)です。他の戦国武将が天下統一など夢にもみない時に、この時期ではただ一人「天下布武」というコンセプトを唱えました。他の戦国武将等は、領国だけが経済圏です。天下布武のためには、経済圏を広く取る必要があります。この時に、一番邪魔になったのが寺社です。この頃の寺社というのは、「武力と経済力」を持った地域の中央銀行のような存在でした。つまり、寺社がその地域で本位制を敷いていたのです。寺社の経済力は地域経済よりかなり大きかったので、それ自体が障害にはなりませんでした。しかし、寺社の経済力はあくまでも寺社のエリアでの経済力です。信長の天下統一は全国の経済圏にしなければ何もなりません。信長はコンセプト実現には、各地域の寺社が邪魔でしかたがありません。寺社=寺社本位制をそんな狭い経済圏で王様のようにやられては一生かかっても信長のコンセプトは実現しません。
 
  比叡山焼き討ちや、石山本願寺討伐などは、その一環なのです。
2.支那紀行と共産主義
  「おもこわい」飛行機からでしたね。広州から飛行機で長沙(チャンシャー)に飛びました。最初はずっと電車で行こうということだってんですが、当時の支那大陸を電車で回るととんでもなく遠回りで時間がかります。1行程いくだけで、ヘタをすると1ヶ月かかってしまいます。飛行機の価格も安いので飛行機で回ることにしました。前の晩に、旅行ガイドブックを見ていると、「中国民航は、世界一安全な乗り物だ」と書いてありました。事故率が低いのだとか。

 乗ってみるととんでもない。飛行機の質が高くないので、あまり高いところを飛べないのですが、なんと、窓から隙間風がピューピュー入ってきます。二月の支那大陸というのはとても寒いのです。寒くて寒くて仕方がありませんでした。もちろん機内サービスなんてなし。おそらく共産主義社会というか支那の風土としてサービスの概念がないのだと思います。「どこが世界一安全や」と思いました。後日、西安で日本人ビジネスマンと会うのですが、その時、「航空機事故がないなんて嘘っぱち。あれは報道しないだけでしょっちゅう落ちてるよ」と言われました。共産主義には報道規制があるのです。

 長沙は、洞庭湖のほとりです。毛沢東の出身地です。4,000年前のミイラがありました。ミイラの保存技術は大したものだと思いましたが、4,000年というのはまゆつばものです。なんせ、白髪三千丈という大陸ですから。今、行ったらおそらく5000年前のミイラになっているでしょう。何と支那大陸では、ミイラが千年も年を取る国なのです。

 長沙は支那大陸の中でも料理はうまかった記憶があります。そのほかはあまり思い出はありません。あっ、母に淡水真珠をお土産に買いました。

 長沙から西安に飛ぶことにしました、西安は昔の都の洛陽です。三国志などを読むとよく出てきます。西安は流石に少し都会でした。つづく

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このページは、宝徳 健が2025年11月21日 01:12に書いたブログ記事です。

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