平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在 10,872通です。
百八歳の誕生日まであと、14,850日です。この日に命を閉じるまで健康でいます。
我が国に 大きな平和の 御代実現 大正の御代 陛下の願い
1.アフガニスタンの真実
少年キムという本をぜひ、お読みください。
パシュート族のアフガンは、18世紀に西隣のファビ朝イランに出ました。5万の精鋭の護るファビ朝のバム城が落とされて、民は赤ん坊まで目を潰されバムは「盲目の首都」と名付けられました。
インドへも一、二度略奪で出ましたが、それきりで、出不精の民です。
かれらは國の中で勢力が割拠し、それぞれの縄張りで、生活しています。
面白いからもう一度読みます。絶頂期の大英帝国と海が欲しいロシアの「グレートゲーム」を題材にした本です。ノーベル文学賞を受賞した ジョゼフ・ラドヤード・キップリングという英国人が著者です。
そのグレートゲームの一環として、19世紀半ばに英国軍が入りました。英国軍は難なくカブールに入りますが、日々兵の人数が減ります。斥候も戻りません。アフガン人の闇討ちです。占領は1年も持ちませんでした。英国軍は徹底しますが、わずか150キロ後方の基地に戻りつけたのは1万5千の中の1人でした。それ医師のウイリアム・ブライトンです。ホームズの相方となったワトソンのモデルです。英国軍の真っ赤な制服は、雪の戦場ではアフガニスタン軍の格好の標的となりました。英国は弱りました。
それから約100年。今度は、ソ連が入ります。カブールまで行き着きますが、あとは英国と同じ。兵も装備もどんどん減っていきます。
アフガニスタンに関わるとろくなことがない。
日本人もそうですね。フリー記者の南條直子さんは、彼らに騙されて地雷原の入って爆死しました。早大生は誘拐されました。中村哲さんは殺されました。
高山正之先生も、記者時代アフガンで金目当てで殺されかけました。國民総強盗だと言っています。
そして、今度はアメリカ。日本も日米同盟たのために輸送機を出しました。武器もってるのかなあ。
いいとか悪いとかではなく、アフガンをあんなにしたのは欧米やロシアの責任でもあるんだよね。出不精なんだから刺激するなよ。ほっとけばいいって? えっ? テロの温床になるって?
穏健なイスラムを原理主義にしたのは、お前ら欧米がイスラムを追い込んだからだろう。あそこが軍事的空白になっても、関係國以外には、関係ないのでは? その國だけが責任をとれば?
まだまだ続きます。
2.国家は判断しなくなった時に空洞化する❶
-平成三年(1991年)ソ連は自ら「消滅」を宣言した-
ソ連崩壊の引き金は、米国レーガン政権との軍拡競争だった。
米国は、ソ連の財政が限界に近いことを把握していた。
その後、ゴルバチョフという優秀なリーダーが登場し、
ペレストロイカとグラスノスチを進める。
そして最終的に、ソ連は「評議会」という仕組みに、
国家の判断を委ねた。
判断とは選択肢を出すこと。
決断とは、その中から一つを選び、他を捨てることだ。
リーダーが試されるのは、この二つだけである。
ソ連という巨大な存在が消えたとき、
世界はこう見ていた。
「これで日本は、大国になるだろう」と。
では、その時。
日本は、この状況をどう『見て』いたのだろうか。
判断は、どこにあったのか。
決断は、誰のものだったのか。つづく

コメントする