国家は判断しなくなった時に空洞化する❷(昨日のソ連の続きです)
-私たちは何を「見て」、何を「観て」いなかったか-
多くの国民が、こんなことが本当に起きるのだろうかと思った。
それほど一瞬にして、世界の構造は変わった。
その時、
私たち日本人は何を「見て」いたのだろうか。
そして、何を「観て」いなかったのだろうか。
「観る」とは、自分も主権者として当事者になりきること。
「観る」とは、未来の選択肢を集めること。
「観なかった」国家は、判断材料を失う。
「観なかった」国家は、ただ流される。
-私たちは世界の変化を「観る」主権者だったのだろうか-
グレートゲーム時代のアフガニスタンは、19世紀から20世紀初頭にかけて、インド防衛を目指すイギリスと南下政策を進めるロシア帝国の二大帝国が「緩衝国家」として争奪した、外交・諜報・軍事の舞台でした。アフガニスタンは主体的に国境線が引かれ、英露の思惑で保護国化されたり(第一次・第二次アングロ・アフガン戦争)、最終的に独立を達成したり(第三次アングロ・アフガン戦争後)、大国の影響下で国家の枠組みや民族分断(デュアランド・ライン)が形成され、現代のアフガン情勢の根源ともなっています。
グレートゲームとアフガニスタンの位置づけ
- 緩衝地帯: ロシアのインド侵攻を防ぎたいイギリスと、インド洋を目指すロシアが、アフガニスタンを自国の勢力圏に入れないための「緩衝地帯」として利用しました。
- 大国間の競争: アフガニスタンは、中央アジアにおける英露の地政学的対立(グレート・ゲーム)の主要な舞台となり、諜報活動や影響力争いが繰り広げられました。
- ギリスの介入とアフガニスタンの独立
- 3回の戦争: 19世紀半ばから、イギリスはアフガニスタンへの介入を繰り返し(第一次・第二次アングロ・アフガン戦争)、一時的に保護国化しましたが、アフガニスタンは抵抗を続けました。
- 独立の達成: 1919年の第三次アングロ・アフガン戦争後、アフガニスタンはイギリスから外交権を回復し、完全に独立を果たしました。
- 国境線の確定: この時期、イギリス主導で設定された「デュアランド・ライン」により、パシュトゥーン人などの民族が分断され、後の対立の火種となりました。
- 現代への影響
- 大国に翻弄される歴史: グレートゲーム時代に形成された外部勢力による国境線や政治的介入は、アフガニスタンがその後も大国の思惑に翻弄される歴史の始まりとなりました。
- タリバン政権との関連: ソ連侵攻やその後の内戦を経て成立したタリバン政権も、この歴史的な文脈の中で、大国間のパワーゲームの影響を受け続けています。

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