2025年8月アーカイブ

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,344通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します 


 今日は二十四節気の立秋ですね。秋になる日です笑。あまり暑い寒いをいうとお天堂様に逆らったことになるんですが笑。たまらんですね。溶けそうですね。電気代が恐ろしい笑。


 そして七十二候が 立秋 初候 涼風至です。涼しい風が吹く頃なんですって笑。


 でも、和菓子屋さんや農家の皆さんは、旧暦かもしれませんが、この二十四節気・七十二候で動いていらっしゃる。


 偉いなあ。立秋の和菓子ってなんなんだろう。創業が享和3年(1803年:222年の歴史)の京都の亀屋さんには和菓子部というのがあって、季節毎に新商品を創っていらっしゃいます。すごいですね。職人さんと若い人が繋がっているんだ。


  かめやさんごめん、著作権違反で。今度買いに行くから。この暑さに免じて許して涙。


  っで、なんの和菓子?  かめや和菓子部の人に言わせると、「この時期は暑いけど、晴天率が高いだろう(こんな言い方していませんが)、星が綺麗だろう。天の川が綺麗だろう。元気をなくすんではなくて私たちの菓子を食え」と言っています(言ってないけど)。


  名前は、「星涼し」、そっか、温暖化か温暖期化知らんけど、昔の人は扇風機もクーラーもなかったんだよね。「涼」を創って、夏を楽しんでいました。現代の私たちは甘えていますね。と、かめや和菓子部の人は・・・、いえいえ言っていません。


  上半分が錦玉羹、下半分が黒糖羹で二層にして、中がこし餡なんだって〜。食いてえ。まさに涼。まさに「星涼し」。 参りました。


  ご存知でしたか? 和菓子の歴史は、縄文時代からです。栗やどんぐりなどの木の実をすり潰して、水にさらしてアクを抜き、丸めて食べていた。これが「団子」の原型です。


縄文の 太古の昔に 食べていた 楽しみもある 食卓いかに

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,343通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します 


  「慶雲館」でしたね。私何をやっているんだろう。勘違いは怖い。お詫びの上訂正させていただきます😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭



  どうもブログの調子がおかしいです。ブログを書く時には、前置きが長くならないよう(いつも私は長いですが笑)、「本文」と「続き」と言うのがあります。まず、本文を書いて、そしてその続きを「続き」に書いていくようになっています。


  ところが本文を終わって、「続き」からそれこそ続きを書いたら、本文のところに大きな間がでたり、続きのところに大きな間が出たりします。つまり、「本文」「続き」の間に大きな間が生じてしまうんです。だから、最近、「本文」に全部書くようにしているんです。


 千年企業の記事を書きながらたかだた二十年に四苦八苦。このブログもう、保守が終わっているんですよね〜。乗り換えてくれと言ってくるんです。「

って、でも、20年一万通あるからいくら取られることやら。無料の引越しサービスなんか1万通もやってくれるのかなあ笑。嫌だなあ。壊れたら。もう15年ぐらい前になりますが、このブログは一度壊れて膨大な記事の修復が必要になりました。それがまだ終わっていません。一回聞いてみるか。やっぱりダメだ。このブログシステムが壊れたら、私の人生そのものを否定しているような気がします、

 さて、慶雲館の続きです。一回「続き」から書いてみます。

 経営危機と事業継承

慶雲館の歴史は順風満帆であったわけではありません。2018年には、慶雲館の元運営会社である株式会社湯島(旧:株式会社西山温泉慶雲館)が、消費低迷や価格競争、過去の投資負担による赤字を理由に解散を決議しました 。


  しかし、旅館事業は20176月に新設された株式会社西山温泉慶雲館に譲渡され、その歴史は途切れることなく継続されています 。



  53代目の当主である川野健治郎社長は、「先代の意向を引き継ぎ、次の継承まで歴史を守っていきたい」と語り、その強い意志を示しています 。


  長期的な家族経営は、組織のアイデンティティと価値観を維持するための強力なメカニズムとして機能します。


  経営危機時の事業譲渡は、表面上は断絶に見えるかもしれませんが、実質的には「慶雲館」というブランドと事業の存続を最優先した戦略的判断であり、歴史の継続性を重視する日本企業の特性を示しています。


  当主の「歴史を守っていきたい」という言葉は、個人的な経営責任を超え、文化遺産としての宿を未来に繋ぐという強い使命感を表しています。


  慶雲館の継承は、単なるビジネスの引き継ぎではなく、1300年の歴史という「重み」を背負う精神的な試練を伴うものです。これは、当主個人の力量だけでなく、先代からの教えや従業員、地域社会といった多層的な「引き立て」によって支えられる構造が観察されます 。


  この「歴史の重み」が、当主の個人的な成長と「運鈍根」の精神を育み、結果として企業のレジリエンス(回復力)を高めるという、相互作用的な関係性が認められます。


  建物の変遷

 慶雲館の建物は、過去に3度も川に流される被害に遭っており、現在の建物は1983年に建てられたものです 。その後、1997年には52代当主により、鉄筋造りながら多種の木材をふんだんに使った近代純和風建築の4階建てにリニューアルされ、現在の姿となりました 。これは、自然の猛威に晒されながらも、その都度再建し、現代のニーズに合わせて進化してきた適応力を物語っています。


 たった数百年しか歴史がない欧米の経営学では、我が日本に一千年を誇る企業がこんなにたくさんあると言うのは信じられないでしょう。信じられないと言うかその経験がないんですからわからないですね。アメリカは200年です。そして、支那は、国家として大陸に連続した経験すらありません。ロシアも国というか誰かの「うしはく(支配者の所有物)」です。


 最近、TikTokとTikTokライトというアプリを入れました。これ支那作ですね。仕事で疲れた頭で見るのはまだ楽なのですが、両者にあるあの支那ドラマのひどいこと。金持ち偉い、貧乏人はしゃべるな、汚す、怖す、殺す、裏切り。そんなドラマが100%です。本当に支那のテレビってこんなのしかやってないの?


 外国人労働者を入れろという議論がありますが、その是非はともかくとして、こんなに「労働」を蔑んでいる人間を雇って、日本企業の経営が成り立つのですか?  


 ましてや金剛組や慶雲館のように、一度潰れてしまったら、支那人なら一生烙印を負わされます。日本には、信じられない困難を何千年の歴史の中で克服し、そして、うしはくに打ち勝ち、しらすの、国体を維持してこられた陛下がらっしゃいます。日本人に生まれて本当に良かった。


 私なんかが支那人に生まれていたら、もう、殺されています。


奇跡なり 世界で続く 我國が 人間社会の 奇跡の国で

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,342通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します 


経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

弊社のドメインはGBCF「General Business Catalyst First」です。

「G: 分野にとらわれない」「B:仕事上の」「C:触媒」「F:最も優れた」です。
(商標登録申請中)

「お医者さんでいうと『総合診療』です。リスクマネジメント等の長い経験から業種業界分野にとらわれないコンサルティングができます。ただし我が社は「触媒」です。「主役はあくまでも企業経営者とその社員さん」す。みなさんが最高の変化を起こせる「触媒」が我が社の役割です。どんな分野等でも大丈夫です。皆様の気づきを「整えて」「深く探って」「強く引き出す」ことをお約束します。

<朝のおつとめ:己十五省>

神棚遥拝、伊勢神宮遥拝(天照大神)、宗像大社遥拝(天照大神三女神)、橿原神宮遥拝(神武天皇)、明治神宮遥拝(明治大帝)、多摩陵遥拝(大正天皇、貞明皇后)、武蔵野陵遥拝(昭和天皇、香淳皇后)、仙洞御所遥拝(上皇陛下、皇太后陛下)、皇居遥拝(今上陛下、皇后陛下)、靖国神社遥拝(英霊)、般若心経昌和、教育勅語昌和、大祓詞昌和、GBCF十二箇条昌和、海軍五省昌和


GBCF十二ヶ条:経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

一、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。


一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,341通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します 


 広島の平和記念公園に行くと「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」という原爆の子の像の碑があります。長きに渡り他国にて任務を果たした、帝国陸軍少尉 小野田寛郎さんが、初めてこの碑を見られた時「これ碑はアメリカが作ったものか」とおっしゃいました。当然の反応ですね。それが多くの日本人は原爆投下は日本政府の責任ということ思っています。

 これはアメリカのジェノサイド(大量虐殺)です。それも戦時国際法違反の。国際法では戦争は軍同士の戦いだけを認めています。アメリカは東京大空襲を始め、各地の空襲で銃後の庶民を大虐殺しました。

  京都は文化遺産があるから爆撃しなかったなど、アメリカの情報操作に乗って、朝日新聞が言い回っただけです。朝日新聞は日本人にそれを感謝しろとも言っています。原爆投下の第一候補でした。

 アメリカは、ソ連の共産主義台頭を抑えるためには原爆投下は必要だったとのたまい、有色人種の日本にだけ二発も原爆を投下しました。

14万人がその年のうちに亡くなっています。大災害どころではありません。

  被害に遭われた方々、亡くなった方々に心から哀悼の意を表します。本日、8時15分に黙祷を捧げます。

  昭和天皇は、終戦の詔勅で、昭和天皇が宝物のように大切にしている国民を国際法違反の大量に殺したこの爆弾のことを、強い言葉で非難しています。掲載します。国民がもし主権者なら事実を知ってください。

 昭和天皇は「敗戦の詔勅」とは一言もおっしゃっていません。「終戦の詔勅」です。負けたとは一言もおっしゃっていないんです。。今から国を建設しろとおっしゃっています。

終戦の詔書 (昭和二十年八月十五日)

 朕、深く世界の大勢(たいせい)と帝国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾臣民(なんじしんみん)に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。
 抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦(ばんぽう)共栄の楽(たのしみ)を偕(ども)にするは、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遣範(いはん)にして、朕の拳法々(けんけん)措(お)かざるところかざる所。
 曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず。
 然(しか)るに、交戦已(すで)に四歳(よんさい)を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)の励精(れいせい)、朕が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公(ほうこう)、各々最善を尽せるに拘(かか)らず、戦局必ずしも好転せず。
 世界の大勢、亦我に利あらず。
 加之(しかのみならず)、敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷(さっしょう)し、惨害(さんがい)の及ぶ所、真に測(はか)るべからざるに至る。
 而(しか)も尚交戦を継続せむか、終(つい)に我が民族の滅亡を招来(しょうらい)するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
 斯(かく)の如(ごと)くむは、朕何を以(もっ)てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し、皇祖皇宗(こうそこうそう)の神霊(しんれい)に謝(しゃ)せむや。
 是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
 帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃(たお)れたる者、及其の遺族に想を致せば、五内為(ごだいため)に裂く。
 且戦傷(かつせんしょう)を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。
 惟(おも)うに、今後帝国の受くべき苦難は固(もと)より尋常(じんじょう)にあらず。
 爾臣民(なんじしんみん)の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。
 然(しか)れども、朕は時運の趨(おもむ)く所、堪え難きを堪え、忍び難(なん)きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。
 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚し、常に爾臣民と共に在り。
 若(も)し夫(そ)れ情の激する所、濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし、或は同胞排儕(はいせい)互に時局を乱り、為に大道(たいだおう)を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。
 宜しく挙国一家子孫相伝え、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)を鞏(かたく)くし、誓て国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。

 爾臣民、其れ克(よ)く朕が意(い)を体(たい)せよ。
御名御璽(ぎょめいぎょじ)
※読みやすいように、ふりがなをふり、カタカナをひらがなに変えています。旧漢字を新漢字にしています、以下に、語句の説明をつけています。
康寧やすらかなこと。安寧
遣範先人から遺された手本
庶幾するこい願う
閲する経過する
無辜何の罪もない人
五内五つの主要な内臓全身
軫念する心を痛める
衷情まごころ
赤誠うわべを飾らないまごころ
事端を滋くする事件をたくさん起こす
排儕排斥
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,340通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します 


石破はあれは、支那共産党のスパイに自分では知らず知らずにうちにされていますよね。「今まで、お前をいじめてきた日本人の奴らに仕返ししようぜ」とばかりに。そして、それを支えているのが共産主義左翼リベラルのオールドメディアや財務省や一部の利権を持った政治家やそれに逆らうことを恐れている多くの政治家などが支那共産党の動きに同調しています。彼らは支那共産党から金が流れているかもしれません。そうしないとこんな大人の愚かな動きが説明できません。


  前も申し上げましたが、ソ連が崩壊した時に、共産主義左翼リベラルは行き場を失いました。彼らはいずれ共産主義革命を成就させるために、いろいろな部署に入り込みました、そして少数派の原則(耳に心地よいことを言って不勉強な国民の賛同を得てそれを主流派にすること)、をやり始めました。そして世界で唯一神話の時代から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本をも破壊し始めました(我が国が一番邪魔)。


  共産主義革命とは、世界中の金持ちを殺し財産を奪い、そして、世界中の政府を転覆することという彼らの唯一のテーゼです。それをこれまた耳に心地よい「プロレタリアート革命」という言葉を使って。だからその手法は労働価値説です。給料を上げるというものです。人から奪ったお金で。ねっ、石破政権がやっていることでしょう!


  これでは国は潰れます。


  この未来日本昔話は、歴史を生ばない不勉強な国民が民主党政権によって、滅ぼされたという前提で書いています。


  平成二十二年(2011年)十月三十日の記事です。修正せずに書きます。南京大虐殺の嘘の最終回です。この頃の稲田朋美は好きだったなあ。女性初の次期総理かと思いました。財務省は力をつけそうな政治家を取り込みます。稲田朋美もそうでした。今では、すっかり緊縮財政派です。でも、修正せずに当時書いたままを書きます。おばあちゃんとまさるくん(11歳)の会話です。



ま「おばちゃん、読んだよ。『百人斬り裁判から南京へ 稲田朋美著 文春新書』。この本すごいね。稲田朋美さんってすごいね。この人、この本を書いて、少したったあと、衆議院議員をやったんだよね」
お「そうだよ。『私は日本を救いたい PHP研究所』『日本を弑(し)いする人々 PHP研究所 共著』もいいよ~。これも読みなさいね。たくさんの国民がこの3冊を読んでいたら、日本はつぶれなかったろうね。国民が民主党なんかに政権を委ねたから日本がつぶれたんだけど、早く総選挙をやって、稲田朋美さんが総理大臣になっていたら、日本はつぶれなかっただろうね」
ま「おしいね。その2冊も読んでみるね」


ま「おばあちゃんが、なぜ、僕に、大津事件と司法の関係を先に調べさせたのかがよくわかったよ。このころの日本の司法も情けないね。これじゃあ、国はつぶれるわ。それなのに、国民は何にも言っていない。国民主権なんて、つぶれる前の日本では、無意味な言葉だったんだね。不勉強な国民が不埒な政治家を選ぶ。国がつぶれてあたりまえ」
お「そうだね。支那のひどさも載っていたろう?」

ま「うん。向井さん、野田さんのご遺族が、それまでは入国できた支那に、事件の真相を調査しはじめたら、いきなり入国を拒否された。あんなでたらめな国がつぶれないで、なんで日本がつぶれたのかなあ」
お「ほんとだね。当時弁護士だった稲田朋美さんが、裁判所に申請した証人を、裁判所に拒否されたろう?」

ま「普通、裁判所が証人を採用しないときは、採用しない側の勝訴になるケースが多いんだ。でも、今回の場合、証人を採用すると、百人斬りを無罪にしなければならないから裁判所は証人を法廷に立たせなかった
お「稲田朋美さんが、何度も、証人を調べてほしいと申し入れ、上申書まで出しているのに、裁判所はこれ以上証人を調べなくても判断ができるという一点張りだったのさ」

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お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します


ギネス世界記録認定と継承の重み

  慶雲館は、その驚くべき歴史的継続性が評価され、平成二十三年(2011年)二月に「世界で一番古いホテル・旅館」としてギネス世界記録に認定されました 。この認定は、単に宿の古さを示すだけでなく、1300年以上にわたり53代にわたる家族によって継続的に経営されてきたという、他に類を見ない継承の証でもあります 。この長期にわたる家族経営は、単に血縁による事業の引き継ぎに留まらず、組織のアイデンティティと価値観を維持するための強力なメカニズムとして機能してきたと考えられます。


立地と秘湯としての性格

  慶雲館は山梨県南巨摩郡早川町の奥深い山峡に位置し、国道52号から延々と続く山梨県道37号南アルプス公園線を進んだ先にある「秘湯」とされています 。この人里離れた立地は、かつてはアクセス困難な「秘境」と評され、その不便さ自体が訪れる人々に特別な体験を提供してきました。


  この物理的な困難さは、単なるデメリットとして捉えられるのではなく、顧客体験における「希少性」と「特別感」を創出する重要な要素となっています。現代社会において、手軽にアクセスできる情報や場所が溢れる中で、「秘境」という要素は、あえて手間をかけて訪れる価値のあるデスティネーション(旅行目的、旅行先)としてのブランド力を高めています。


  これは、慶雲館が「世界最古の宿」という歴史的価値だけでなく、その立地自体が持つ「非日常性」という付加価値を顧客に提供していることを示唆しています。


  多くの企業が利便性や効率性を追求する現代において、慶雲館は「不便さ」を逆手に取り、時間をかけて辿り着くからこそ得られる「深い癒し」や「特別な体験」という、変わらない本質的な価値を顧客に提供していると評価できます。これは、同業他社との差別化要因となり、顧客ロイヤルティの向上に寄与していると考えられます。また、明日書く経営危機を乗り越えてもこの立地と秘湯の性格を維持していることは、それが慶雲館のアイデンティティの中核であり、安易な大衆化を避ける経営哲学の表れとも解釈できます。


  この慶雲閣を語る時、ここの最大の強みである温泉の質のことを挙げて「あそこは枯れない良質の温泉があるからできるんだ」という方が多くいらっしゃいますが、では、お聞きします。では、あなたが温泉の経営者とて慶雲閣を経営したら一千年も続けられますか?


  その単純なところシンプルなことをやり続けるすごさというのは私にはできません。


  いずれ千年企業として紹介しますが、京都に大好きな一文字和助という団子屋さんがあります。千年企業です。美味しい団子一品だけです。私は団子だけで千年経営し続ける自信はありませんし、なによりイメージがつきません。一文字和助のおかみさんに言わせると、京都では、応仁の乱を潜らないと老舗と言わないそうです笑。


 私が、大学生の時に吉野家の牛丼が倒産したことがありました。その時、今で言う心無いオールドメディアは「単品商品の限界が出た」と得意の裏取りなしの報道をしました。東海銀行が建て直しに入りました。店長さん達にヒアリングしました。店長さん達は言いました。「私たちにもう一度美味しい牛丼を作らせてください」と。上層部の無理なコスト削減が最大の原因でした。


 明日、慶雲閣の困難を経験した時代のことを書きますが、千年企業は間違いなく「不易流行」の「不易(変わらないこと)」を大切にしながら「新しい時代の流行」を受け入れてきました。ただし、この千年企業でしつこく書いていますが、その流行が不易と流れを一つにするまで、準備をします。


 なぜなら皇室の生き方がそうだからです。皇室は538年に、「流行である漢字」が支那から伝わった時、四百年から五百年使いませんでした。万葉仮名ができるまで。そして不易の中に万葉仮名という漢字と流れを流れを一つにするコトができた時に漢字を受け入れました。その皇室の生き方を知っている千年企業はすべからくそれを同じことをやってきています。

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,338通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します


経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

弊社のドメインはGBCF「General Business Catalyst First」です。

「G: 分野にとらわれない」「B:仕事上の」「C:触媒」「F:最も優れた」です。
(商標登録申請中)

「お医者さんでいうと『総合診療』です。リスクマネジメント等の長い経験から業種業界分野にとらわれないコンサルティングができます。ただし我が社は「触媒」です。「主役はあくまでも企業経営者とその社員さん」す。みなさんが最高の変化を起こせる「触媒」が我が社の役割です。どんな分野等でも大丈夫です。皆様の気づきを「整えて」「深く探って」「強く引き出す」ことをお約束します。

<朝のおつとめ:己十五省>

神棚遥拝、伊勢神宮遥拝(天照大神)、宗像大社遥拝(天照大神三女神)、橿原神宮遥拝(神武天皇)、明治神宮遥拝(明治大帝)、多摩陵遥拝(大正天皇、貞明皇后)、武蔵野陵遥拝(昭和天皇、香淳皇后)、仙洞御所遥拝(上皇陛下、皇太后陛下)、皇居遥拝(今上陛下、皇后陛下)、靖国神社遥拝(英霊)、般若心経昌和、教育勅語昌和、大祓詞昌和、GBCF十二箇条昌和、海軍五省昌和


GBCF十二ヶ条:経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

一、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。


一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,337通目です。

お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します


  たかだか200年の歴史のアメリカが大東亜戦争後に、世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我が国 日本に押し付けたことは枚挙に暇がありませんが、最たるものが日本の共産主義化です。

      弊社蔵書より


  さらにやったのが、


❶農地改革

❷財閥解体

❸労働改革(労働組合の結成等)


です。アメリカは日本が怖くて仕方がありませんでした(マッカーサーは厚木飛行場に降り立つ時恐怖で失禁した)。なので、こういう仕打ちをしたのです。


 長い歴史を経て作り上げた農地におけつ庄屋と農民の関係は、庄屋がノーブレス・オブリージュ(上に立つものの責任)を果たし、きっちり庄屋に運用されてきました。それが農地改革で、「JA」という利権集団一つになってしまいました。


  財閥解体もそうです。これは高度経済成長である程度回復しましたが、共産主義者(と自分では気づいていな)石破や財務省や日銀やメディアの責任で30年の失われた経済ができてしまいました。日立製作所が白物家電分野を韓国などに売ろうとしています。こんか経済安全保障上かなり問題があります。


  日本は社会主義国家でも共産主義国家ではありません。最低賃金を政府の決めてもらう必要はまったくありません。こういうのを「小さな親切大きなお世話」と言います。天下の悪法 労働法規もそうです。人を辞めさせてはならない法律しか作らないので、企業は人を雇えなくなります。


経済の活性化とは、「ヒト・モノ・カネ・情報」の輪が大きく太く早く動くことなのです。そしてそのように動く社会を作ることを「経済政策」と言います。


 賃金だけを決めるのは、マルクス「資本論」の唯一の価値観である


労働価値説

 です。石破よ!賃金だけあげれば経済が活性化すると考えているお前の脳みそはなんだ。だったら、政府の強制的施策ですべて経済は動くとのたまうのか!!!


 お前はものとマナーを知らない猿か!


なさけない 一国宰相 物知らず なさけないかな 国民の支持

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,336通目です。

お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します


  最近、TikTokとTikTokライトを始めました。仕事で疲れた頭を癒すのにはちょうどいい。それと、これって支那の企業が作っていますよね。支那のドラマを見れば笑ってしまいます。金持ち偉い、貧乏人ダメ、工員や農民などはまったく人間として認めてられていません。「汚す」「壊す」「暴力」「殺す」・・・支那人のお得意がすべからく脚本になっています。これが支那人の常識なんですね。笑ってしまいます。でも、「喧嘩をしてはいけません」と教育して日本中の暴力を容認している母たちに育てられた子供達が、この品の洗脳ドラマを見るとますます暴力を振るうようになるのかしら。それとか、支那人の凶悪犯罪が我が国内で怒っていますが。これはなんとかしなければならない。排外主義ではなくて、悪いことをした外国人は区別しないといけない。でないと、そうでない外国人が可哀想です。他国に来てその国の国民とお同じ権利を主張するな!


かつてアメリカが大東亜戦争後、ハリウッドやテレビドラマやテレビ漫画などで世界中を洗脳しようとしました。これこれで楽しかった笑。トムとジェリーとか奥様は魔女とかスーパーマンとか。


今は、「南京大虐殺の嘘」を書いています。日本人が敗戦後の日教組の不埒な教育とそれを喧伝するメディアによって「正しい」歴史を学ばなくなったから我國が潰れてしまったという設定です。おばあちゃんとまさるくん(11歳)の会話です。


 今日は、平成二十二年(2011年)十月二十四日の記事です。修正せずに書きます。


ま「おばあちゃん、勉強したよ、大津事件と司法の関係」
お「そうかい、教えておくれ」
ま「うん、その前におなかすいた。お昼ごはん食べたい」
お「はいはい(笑)。まさる、今日はね、ディメールという冷凍技術の会社と、青森のはまなす農協のお米が結びついた、冷凍押し寿司を食べよう。特に、この焼き鯖寿司が最高においしいのさ」
ま「えー、冷凍のお寿司?大丈夫なの?」
お「まあ、食べてごらん」

もぐもぐ

ま「おばあちゃん、何これ! 最高においしいじゃん。本当にこれ冷凍なの?」
お「おいしいだろう~」
ま「おばあちゃん、日本はつぶれたけど、日本のDNAは確実に残っているね。すごいや。この技術力は。早く日本を復興させないとね」
お「そうだね。じゃあ、大津事件と司法のことを教えておくれ」


ま「大津事件については、もういいね。ロシア最後の皇帝ニコライ二世が皇太子時代に日本に来たときに、日本の官憲に斬りかかられて怪我をした事件
お「知ってるともさ」
ま「うん。そのとき、総理大臣の松方正義たち政府首脳は、犯人の津田三蔵を大逆罪で死刑にしろと騒ぐんだ」

お「そうだろうねえ、あの当時のロシアは世界最大の軍事国家で、日本はいつ侵略されてもおかしくなかったからね。外交上ロシアに気を遣ったわけだね」


ま「うん、でも、大逆罪は日本の皇室にしか適用されないから、犯人の津田三蔵には適用できなかったんだ」
お「でも、大審院は気を使って協議を重ねた」

ま「そう、でも、ここに登場するのが児玉惟謙(こだまこれたか)。この人は大審院長だったんだけど、津田の案件は大逆罪の構成要件に該当しないと、政府首脳が圧力をかけまくる中、罪刑法定主義を貫いたんだ。そして、大審院の判事を一人ひとり説得してついに、津田は謀殺未遂罪で無期懲役になったんだ」

お「骨があるね~。司法権の独立だね。当時の大和男児は骨がある。だから、明治という困難な時代でも、国家をつぶさずに独立を保てたんだね」


ま「うん、すごい。それに比べて、つぶれる前の日本で民主党政権時代に起きた尖閣列島問題のときの、司法は情けなさ過ぎるよね。菅とか仙石とか言う政治家に押し切られて、支那に気を遣って支那人の犯人を釈放してしまった」

お「そうだね。でもね、まさる、もっとなさけないことが、南京大虐殺に関してあるんだよ」
ま「えっ? 何々?」
お「じゃあ、お昼が終わったから、時間があるのなら、またおじいちゃんの書斎で調べてごらん。
『百人斬り裁判から南京へ 稲田朋美著 文芸春秋』という本があるはずだから。ここで、最高裁までひどいことをしてしまったんだ。司法までこんなに情けなかったから、日本はつぶれてしまったのさ」

ま「うん。読む! じゃあ、書斎に行く! おやつはプリンでいいからね」
お「おやおや、はいはい(笑)」まった」
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お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します


 今日から、世界一古い宿泊業で世界で三番目に古い慶雲閣です。私はまだここに行っていません。行くのが楽しみです。早く計画立てないと。


  コンサルタントとして結構やっかいな業種の中の一つに「固定費比率」「固定資産比率」が高いところがあります。旅館とか病院ですね。損益分岐点が高くなるのです。固定費比率や固定資産比率が高いと少し売上が悪くなるとすぐに赤字になります。その中も旅館は、板前さんの問題(詳細割愛)等も含めていろいろあるのですよね〜。


  慶雲閣はその中でどうやってやって千年続いているのだろうかと不思議でなりません。今回、それを解き明かしましょう。


慶雲館に息づく長寿の哲学:「家訓」を超えた「不易流行」の精神


はじめに:長寿企業に息づく「家訓」の探求

  日本の長寿企業は、その驚異的な存続期間を通じて、独自の経営哲学や倫理規範を育んできました(その根は不易流行にあるのは同じですが)。例えば、世界最古の企業とされる金剛組は、聖徳太子十七条憲法に倣った明文化された家訓を有し、それが組織の精神的支柱となってきたと伝えられています。


  もう一つの世界最古の宿としてギネス世界記録に認定されている慶雲館に、金剛組のような明確な「家訓」が存在するのか、あるいはそれに代わるどのような精神的基盤が、1,300年を超える歴史を支えてきたのかを探求してまいります。慶雲館の歴史を紐解き、その運営を支える核となる哲学、すなわち「温泉力」と「おもてなし」の精神、そして現代の当主が語る継承への思いを深く分析し、金剛組の家訓と比較しながら、慶雲館独自の「不易流行」の精神がどのように形成され、機能しているかを考察します。


慶雲館の歴史と「世界最古の宿」としての継承

  慶雲館は、日本の長寿企業の象徴であり、その歴史は飛鳥時代にまで遡ります。その起源から現代に至るまでの道のりは、幾多の困難を乗り越えながら、一貫した価値を継承してきた証でもあります


開湯と創業の起源

   慶雲館の歴史は慶運二年西暦705年:創業1302年の歴史)に藤原鎌足の長男である藤原真人がこの地の温泉を発見し、開湯したことに端を発するとされています 。なので、慶雲閣す。歴史そのまま間の名前ですね。以来、この温泉は千年以上一度も涸れることなく湧き続け、都人、武田信玄や徳川家康といった名将、そして多くの文人らに愛されてきました 。温泉の発見者については、藤原真人の息子である四郎長麿・四郎寿麿兄弟による発見説も存在しますが、いずれにせよ飛鳥時代からの長い歴史を持つことは共通しています 。


  この世の中に奇跡を起こして千年企業を創造するためには、やはり、世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我が国日本の統治者 皇室の歴史と同じようにしなければ実現しないのでしょうね。


 ちなみに君臨それども統治せずという訳のわからない言葉がありますが、我が皇室は「統治すれども君臨せず」です。前者の言葉を言う人は「統治:我が国体 しらず」と「君臨:うしはくという支配形態」を完全に取り違えています。


  では、明日から信じられないぐらい田舎にあるこの経営が難しい「宿泊施設」宿泊施設が続いているかを解明していきましょう。


はるかなる 一千年と 言う時が 世界企業の 姿を遺す

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お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します


経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

弊社のドメインはGBCF「General Business Catalyst First」です。

「G: 分野にとらわれない」「B:仕事上の」「C:触媒」「F:最も優れた」です。
(商標登録申請中)

「お医者さんでいうと『総合診療』です。リスクマネジメント等の長い経験から業種業界分野にとらわれないコンサルティングができます。ただし我が社は「触媒」です。「主役はあくまでも企業経営者とその社員さん」す。みなさんが最高の変化を起こせる「触媒」が我が社の役割です。どんな分野等でも大丈夫です。皆様の気づきを「整えて」「深く探って」「強く引き出す」ことをお約束します。

<朝のおつとめ:己十五省>

神棚遥拝、伊勢神宮遥拝(天照大神)、宗像大社遥拝(天照大神三女神)、橿原神宮遥拝(神武天皇)、明治神宮遥拝(明治大帝)、多摩陵遥拝(大正天皇、貞明皇后)、武蔵野陵遥拝(昭和天皇、香淳皇后)、仙洞御所遥拝(上皇陛下、皇太后陛下)、皇居遥拝(今上陛下、皇后陛下)、靖国神社遥拝(英霊)、般若心経昌和、教育勅語昌和、大祓詞昌和、GBCF十二箇条昌和、海軍五省昌和


GBCF十二ヶ条:経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

一、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。


一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。


一、継続の原則:運用の継続を第一義に考え触媒としての支援を設計します。

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  かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。


ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

 いまは、南京大虐殺の嘘です。平成二十二年(2011年)十月二十三日の記事です。修正せずに書きます。

今日は、向井少尉の遺書を、まさるくんが紹介してきます。なんかブログがおかしいですね。嫌だなあ。
直れ直れ ブログよ直れ 壊れるな お願いだから 壊れてくれるな


お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します


  かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。


ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

 いまは、南京大虐殺の嘘です。平成二十二年(2011年)十月二十三日の記事です。修正せずに書きます。

今日は、向井少尉の遺書を、まさるくんが紹介してきます。なんかブログがおかしいですね。嫌だなあ。
直れ直れ ブログよ直れ 壊れるな お願いだから 壊れてくれるなま「おばあちゃん、きたよ」
お「いらっしゃい。おばあちゃん、まさるが来てくれるようになって、生きる張りが出てきたわ。いつもありがとう」
ま「僕のほうこそ、生きる目的と目標ができた。とっても感謝しています。おじいちゃんの書斎でいろいろな本も読めるしね」

お「っで、今日はおばあちゃんに何を教えてくれるんだい?」
ま「今日は、向井少尉の遺書だよ。こんな内容だよ。」

(向井少尉遺書)
我は天地神明に誓い、捕虜住民を殺害せること全然なし。

南京虐殺等の罪は絶対に受けません。

死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。

然れども魂は大八州(おおやしま)に帰ります。

我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り、日華親善東洋平和の因ともなれば捨石となり幸ひです。

中国のご奮闘を祈る
日本の敢闘を祈る
中国万歳
日本万歳

天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります。

十二月三十一日十時記す

向井敏明


お「立派な日本男児だね。何の罪もないことで殺されるのに、取り乱したところが何にもない。まさる、戦前の日本人の死生観をよく勉強おし。常に死を見据えて生きているから、生きている姿がとても純粋になる。戦後、日教組という教育団体が不埒な過った教育をして、朝日・毎日・共同新聞に頼っている地方紙など、これまた不埒なマスコミが世論をミスリードして、不勉強な国民がそれらに操られて、民主党なんていう左翼政党に政権を任せてしまって、日本はつぶれたんだ」

ま「うん。本当に戦前の日本人は立派だね。憲法と教育が大切なことがよくわかる。おばあちゃん、自分たちの立場を守るためと、支那の工作員となって、外国のご機嫌をとるために、こんなすばらしい日本人を殺してしまった、浅海一男、毎日新聞、本田勝一、朝日新聞は許せないね」

お「そうさ、こいつらこそ、死刑になっても文句も言えない人種だね」
ま「その後、日本では、どうしようもなかったの?」

お「あったんだよ。稲田朋美という、その後衆議院議員になった弁護士さんが、遺族の方たちとともに司法の場で戦ったんだ。でも、最高裁は、最後に逃げてしまったんだ」

ま「何それ! 許せないね。政治だけでなく、司法も腐っていたの? 日本がつぶれるはずだね」
お「まさるや、大津事件のときの司法を勉強してごらん」
ま「うん、じゃあ、今から、おじいちゃんの書斎貸してね。調べてくる。途中でおやつお願いね」
お「はいはい(笑)」


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  池坊の長寿の哲学

  池坊華道会は、その長い歴史の中で、一貫した哲学を継承してきました。


不易流行の精神

  • 不易(変わらない本質): 池坊の「不易」は、「自然の美を尊ぶ心」といけばなを通じて「人の心を豊かにする」という哲学です。これは、いけばなが仏前供花であった創業期から、現代の自由花に至るまで、決して変わることのない池坊の存在意義です。

  • 流行(変化し続ける形態): 一方で、いけばなは時代とともにその形を変えてきました。室町時代の「立花」、江戸時代の「生花」、そして現代の「自由花」など、日本の住空間や人々の暮らし、そして美意識の変化に対応するために、常に新しい様式を生み出し続けてきました。

苦難を乗り越える適応力

  • 戦国時代の混乱: 応仁の乱などの戦乱期には、有力な武将や公家と交流を深めることで、いけばなを保護しました。

  • 西洋文化の流入: 明治以降、西洋文化が流入し、日本の伝統文化が軽視される風潮が生まれた際には、伝統的な様式を継承しつつも、西洋の植物や様式を取り入れた新しい表現を模索しました。

  • 現代のライフスタイルの変化: 現代の住宅事情や核家族化といった変化に対応するため、手軽に楽しめる「自由花」を生み出し、SNSやオンラインでの活動も積極的に行っています。

 このように、池坊華道会は、その根底にある理念を大切にしながらも、時代の変化に柔軟に対応する「不易流行」の精神を体現することで、1400年以上の歴史を紡ぎ、いけばなという日本の伝統文化を今日に伝えているのです。


  素晴らしいですね。世界最古の企業である金剛組でも同じです。不易流行とは何か。フリーダムなんです。フリーダムの意味は「独立不羈(どくりつふき)」です。「独立自尊」とも言います。千年企業はみんなこの「続く」という理念がベースにあるのです。我が母校慶應義塾の福澤諭吉先生の理念でもあります。学問のすすめと福翁自伝も読まない理念なき学問の塾員・塾生が知っているか


  そして、世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我が国日本が誇る皇室の理念でもあります。


  皇室はこの不易流行のために意思決定の際に最も重要視することは「今の多数は歴史上の少数である」です。例えば今は「公称」二千六百八十五年ですが、いったいいつから始まったのかわからないぐらいの歴史を誇ります。仮に3,000年としましょう。今の主流となる意見が5千万人いたとします。でも、3,000年の1年間に守ってきたことが平均2万人/年だとするとそれだけでもう6千万人となり、たった年間2万人で5千万人を凌駕してしまいます。


  金剛組の記事で書いた言葉を次のページに書いて、締めに池坊の最終回とします。次回から慶雲閣という世界最古の宿泊施設であり世界三番目に古い企業のことを書きます。感謝合掌。


とことんに 不易と検証 その上で 流行取り入れ 不易流行

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GBCF十二ヶ条:経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である


一、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。


一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。


一、継続の原則:運用の継続を第一義に考え触媒としての支援を設計します。

  平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,330通目です。

  かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

 いまは、南京大虐殺の嘘です。平成二十二年(2011年)十月二十一日の記事です。修正せずに書きます。

まさるくんは、亡くなったおじいちゃんの書斎で本田勝一のことを調べました。お昼になりました。

※やっぱりブログ記事の感覚がおかしいですね〜。このシステム古いからなあ。すみません。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,329通目です(後で数えなくていいように)。

  池坊華道会は、用明天皇二年(587年)に聖徳太子が六角堂に仏様を祀ったことに端を発し、その後1438年の歴史を積むんでいます。世界で二番目に古い企業とされています。その歴史は、仏前供花から始まった「いけばな」を、室町時代には芸術へと昇華させ、江戸時代には大衆文化として普及させました。その根底には「いけばなは心の花」といいう一貫した理念があります。戦乱や時代の変という苦難を乗り越えながら、歴代の当主たちは、日本の美意識や精神性を深く取り入れ、常に新しい表現を模索することで、いけばなをを単なる伝統文化ではなく、時代と共に進化する芸術をして継承してきました。まさに不易流行ですね。

⚫️創業期
  頂法寺は、京都の下京区にあります。聖徳太子が建築資材を探しているときに霊告を受け、聖徳太子が建築資材を探しているときに霊告を受け、六角道を建立しました。この御堂に如意輪観音を祀り、毎日供花を捧げました、この供花を管理するために、小野妹子を住職にしました。小野妹子は六角堂の畔にあった池のほとりに住んでいたことから「池坊」と呼ばれるようになりました。これが池坊の歴史の始まりです。

 この時期のいけばなは、「仏様への供養の心」がその根幹にありました。美しさよりも、仏様への敬意を織り込めることが最も重症視されました。

  ちなみに、聖徳太子は、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏にしていました。聖徳太子は、用明天皇2年(587年)に四天王寺建立の木材を求め、京都盆地を訪れました。聖徳太子が池で身を清めるにあたって、念持仏を木にかけたところ、動かなくなり、この地に留まって人々を救いたいと聖徳太子に告げました。だから聖徳太子は六角堂を建ててこの念持仏を安置しました。

 すごい事実でしょ。でも千年企業は池坊華道会でも、きちんと日本の歴史に寄り添っているのですね。明日からそれを書きます。 
皇室の 国を創るは 唯一の 世界の奇跡 不易流行

  この部分は池坊の記事の時には毎回書きます。エグゼクティブサマリーと思ってください。

  なんか保存したら記事の間隔が空きすぎますね。すみません。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,328通目です(後で数えなくていいように)。

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神棚遥拝、伊勢神宮遥拝(天照大神)、宗像大社遥拝(天照大神三女神)、橿原神宮遥拝(神武天皇)、明治神宮遥拝(明治大帝)、多摩陵遥拝(大正天皇、貞明皇后)、武蔵野陵遥拝(昭和天皇、香淳皇后)、仙洞御所遥拝(上皇陛下、皇太后陛下)、皇居遥拝(今上陛下、皇后陛下)、靖国神社遥拝(英霊)、般若心経昌和、教育勅語昌和、大祓詞昌和、CBCF十二箇条昌和、海軍五省昌和


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一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。


一、継続の原則:運用の継続を第一義に考え触媒としての支援を設計します。



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 孫子の兵法の始計編に以下の言葉があります。

利を計りて、以って聴き、すなわちこれが勢いを為し、以って、その外を佐(たす)く
「勝ち目があると分かってから開戦を決め、そのときには策略をめぐらせて有利な状況をつくる」

❷勢いは、利に因りて権を制するなり
「勢いというものは、どうすれば有利になるかを考えて、臨機応変にうまくやっていくことだ」

能(よ)くしてこれに能くせざるを示し、用いて、これに用いざるを示す

「できるのに、できないふりをする。用いているのに、用いていないふりをする」


❹近くして、これに遠ざかるを示し、遠くして、これに近づくを示す
「近づきながら、遠のいているように見せる。遠のきながら、近づいているように見せる」

  日本には日清・日露戦争として、大東亜戦争には勝ち目がありませんでした。勝ち目がわかってから回線をすることはできませんでした。日露戦争では午前会議が終わった時は、重臣たちはみんな涙を流したそうです。でも、精一杯のことはやりました。
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かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

 いまは、南京大虐殺の嘘です。平成二十二年(2011年)十月十六日の記事です。修正せずに書きます。

  前回に引き続き、今回は、毎日新聞の不埒さを解説します。嘘の報道を訂正もしなかった、いまや、第一の権力マスコミのひどさ。私たちはこんなものにだまされていたのです。

 時は2111年。国民の不勉強さから日本はつぶれてしまったと仮定しています。まさるくんは、11歳です。
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  私は今日の今日まで、慶雲閣が世界で二番目に古い企業と思っていたのですが、違いました。調べたら池坊華道会でした。今日からシリーズで、池坊稼働会を書きますね。

  池坊華道会は、用明天皇二年(587年)に聖徳太子が六角堂に仏様を祀ったことに端を発し、その後1438年の歴史を積むんでいます。世界で二番目に古い企業とされています。その歴史は、仏前供花から始まった「いけばな」を、室町時代には芸術へと昇華させ、江戸時代には大衆文化として普及させました。その根底には「いけばなは心の花」といいう一貫した理念があります。戦乱や時代の変という苦難を乗り越えながら、歴代の当主たちは、日本の美意識や精神性を深く取り入れ、常に新しい表現を模索することで、いけばなをを単なる伝統文化ではなく、時代と共に進化する芸術をして継承してきました。まさに不易流行ですね。

⚫️創業期
  頂法寺は、京都の下京区にあります。聖徳太子が建築資材を探しているときに霊告を受け、聖徳太子が建築資材を探しているときに霊告を受け、六角道を建立しました。この御堂に如意輪観音を祀り、毎日供花を捧げました、この供花を管理するために、小野妹子を住職にしました。小野妹子は六角堂の畔にあった池のほとりに住んでいたことから「池坊」と呼ばれるようになりました。これが池坊の歴史の始まりです。

 この時期のいけばなは、「仏様への供養の心」がその根幹にありました。美しさよりも、仏様への敬意を織り込めることが最も重症視されました。

  ちなみに、聖徳太子は、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏にしていました。聖徳太子は、用明天皇2年(587年)に四天王寺建立の木材を求め、京都盆地を訪れました。聖徳太子が池で身を清めるにあたって、念持仏を木にかけたところ、動かなくなり、この地に留まって人々を救いたいと聖徳太子に告げました。だから聖徳太子は六角堂を建ててこの念持仏を安置しました。

 すごい事実でしょ。でも千年企業は池坊華道会でも、きちんと日本の歴史に寄り添っているのですね。明日からそれを書きます。


皇室の 国を創るは 唯一の 世界の奇跡 不易流行
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,324通目です(後で数えなくていいように)。


  今日から七十二候は、大暑 末候 大雨時行ですね。たいうときどきふる と読みます。

  夏の最後の候です。集中豪雨や夕立などの夏の激しい雨が降る頃です。

  子供の頃入道雲を習いました。それを知ってから空を見上げるのが楽しくなりました。あんな強そうな雲みんたいになりたいなあ、と思いました。

  その頃は、舗装された道路が少なく自動車(自動車も少なかった)が通ると砂埃がもくもく。夕方になると母が水打ちをしました。夕たちが来た時を除いて。すると涼しくなるのです。

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  水打ちが終わる頃、豆腐屋さんが笛を吹きながら自転車でやってきます。豆腐を買いに行くのは私の仕事でした。鍋をに水を張って豆腐を買いに行くのです。木綿豆腐が多かったかな? 手作りの豆腐は美味しかったなあ。

 それが終わった頃、回覧板を隣の家に持って行きます。


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 持っていくと隣の家のおばちゃんが、紙に包んだおやつを用意して待っていてくれます。姉妹に取られなくないので家に帰りまでに食べてしまいました。

  時々、牛蛙(別名ガマガエル)が溝に現れます。食用蛙です。牛のように鳴くので牛蛙です。

                        フリー画像

  とっても大きいのですよ。その牛蛙を近所総出で捕獲します。潰して食べるためです。

  懐かしいなあ。夏を楽しんでいました。

夏に日に お天道様の 贈り物 すぐそこにある 夏の風物
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経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

弊社のドメインはGBCF「General Business Catalyst First」です。

「G: 分野にとらわれない」「B:仕事上の」「C:触媒」「F:最も優れた」です。
(商標登録申請中)

「お医者さんでいうと『総合診療』です。リスクマネジメント等の長い経験から業種業界分野にとらわれないコンサルティングができます。ただし我が社は「触媒」です。「主役はあくまでも企業経営者とその社員さん」す。みなさんが最高の変化を起こせる「触媒」が我が社の役割です。どんな分野等でも大丈夫です。皆様の気づきを「整えて」「深く探って」「強く引き出す」ことをお約束します。


GBCF十二ヶ条:経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である


一、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。


一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。


一、継続の原則:運用の継続を第一義に考え触媒としての支援を設計します。

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,322通目です(後で数えなくていいように)。

 台湾がきな臭くなってきましたね。安倍さんがおっしゃったように「台湾有事は日本の有事」です。与那国島と台湾の距離は、最短で約111kmです。晴れた日には、与那国島から台湾の山並みを肉眼で見ることができるほどの近さです。

  この距離は、同じ沖縄県の石垣島から台湾までの距離(約127km)よりも近く、日本の領土の中で最も台湾に隣接しています。台湾を取られたら支那共産党は第一次列島線も第二次列島線も完全に配下に入れてしまいます。日本は貿易もできなくなります。

 支那共産党は習近平の動向によりますが、彼が最後の仕事としてやるか、それとも軍が暴走するでしょうか?

  支那が台湾に侵攻してもまだ「戦争は嫌だ」とのたまいますか? そうではないでしょう。「武」とは「戈(ほこ)」を「止(とめる)」です。幸い我が国には今、護衛艦隊軍が4つあります。日露戦争の時の連合艦隊が1つの時とは違います。

第1護衛隊群: 司令部は横須賀基地(神奈川県)にありますが、横須賀基地佐世保基地(長崎県)に配備。司令は沢田 俊彦海将補

第2護衛隊群: 司令部は佐世保基地(長崎県)にありますが、所属する護衛隊は佐世保基地横須賀基地に配備。司令は江畑 泰孝海将補

第3護衛隊群: 司令部は舞鶴基地(京都府)にありますが、所属する護衛隊は舞鶴基地大湊基地(青森県)に配備。司令は青木 邦夫海将補。

第4護衛隊群: 司令部は呉基地(広島県)にありますが、所属する護衛隊は呉基地佐世保基地に配備されています。司令は夏井 隆海将補

 そしてこの4群を統率する護衛艦隊司令は伍賀 祥裕(ごが よしひろ)海将です。

 台湾有事の際は、他の国防のためにひとつの護衛艦隊群を横須賀において、あと3護衛艦隊群は台湾に向かうでしょう。戦力の一気投入です。対峙する時の原則です。これに海軍特殊部隊 海上自衛隊特別警備艇と陸軍と空軍が加わります。特に陸上自衛隊特殊戦闘群と空軍は、空母「いずみ」「かが」が。

かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

 いまは、南京大虐殺の嘘です。平成二十二年(2011年)十月十二日の記事です。修正せずに書きます。

南京大虐殺・百人斬りにおいて、国を、そして、同朋を売った、許せない国賊がいます。朝日新聞、毎日新聞、本田勝一、浅海一男です。支那のスパイとしか思えません。

 そして、こんなことをメディアに騙されて信じてしまった国民がたくさんいたので、日本はつぶれてしまったと仮定しています。時は西暦2111年。まさるくんは、11歳です。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,321通目です(後で数えなくていいように)。

  世界最古の企業である金剛組のルーツは敏達天皇七年(西暦578年)に遡り、これが同社の世界で最も長く存在する企業として位置付けています。その創業は多くの国家や主要な世界宗教の成立よりも古く、その歴史的深遠さを示しています。  

 繰り返します。千年企業は、まさに不易流行(不易流行:永く続く大切なものをしっかり守り、新しいことを取り入れる)という我が皇室の精神と申し上げました

  新しいものを取り込むときは、不易を徹底的に検証することが大切です。不易と流行は分離するものではなく、積み上げてきた歴史である不易と新時代からやってきた流行が流れを一(いつ)にすることを当事者たちが創っていくことだからです。

 例えば、538年に支那大陸から漢字が我が国に伝来しました。しかし、皇室は漢字を400年間〜500年間使いませんでした。

 我國の在り方と新しい漢字の流れが一(いつ)になる
「万葉仮名」ができるまで。

すみません。この最初の部分はとても大切な肝なので、毎回書きます(初めて読まれる読者も多勢いらっしゃるので)

 このブログの中で何回か「欧州でも国家の概念ができたのはこの三百年〜五百年」と申し上げました。それまでは? 確かに存在はその何百年前からありましたが、所詮は貴族の「うしはく(すべて自分の所有物にするという支配形態)」でしかなかったのです。それが三百年〜五百年に国家として目覚めて、第一次世界大戦で固まりました。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,320通目です(後で数えなくていいように)。

  TVドラマ「ちやはふる」は面白いですね。この漫画の原作者は大したものです。私たちの子供の頃にこの漫画があったらみんな百人一首をもっと勉強したでしょう。

   ドラマの當真あみさんという女優さんは今まで知りませんでしたが味を出しています。

  今週水曜日の和歌です。

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき

 作者は、猿太夫です。古今集に載っている歌です。この和歌と最初に出逢った時に、和歌よりも作者の名前が変だなあと思いました。

  人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄鹿の声を聞く時、いよいよ悲しいものだと感じられる。まあ、訳してしまうと和歌の価値がなくなりますね。次からは書きません。

  雄の鹿は秋になるとメスの鹿を思って鳴くそうです。それを恋の歌になぞらえるなど、そういう当時の情緒がすごいですね。今の私には詠めません。和歌をずっと詠んでいるとこういう情緒が身につくのだろうか?

  昔の人は、今の私たちよりも心が豊かだったのですね。

  ああ欲しい 昔の人の この情緒 和歌を詠むとき 心豊かに
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,319通目です(後で数えなくていいように)。

お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します



経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

弊社のドメインはGBCF「General Business Catalyst First」です。

「G: 分野にとらわれない」「B:仕事上の」「C:触媒」「F:最も優れた」です。
(商標登録申請中)

「お医者さんでいうと『総合診療』です。リスクマネジメント等の長い経験から業種業界分野にとらわれないコンサルティングができます。ただし我が社は「触媒」です。「主役はあくまでも企業経営者とその社員さん」す。みなさんが最高の変化を起こせる「触媒」が我が社の役割です。どんな分野等でも大丈夫です。皆様の気づきを「整えて」「深く探って」「強く引き出す」ことをお約束します。


GBCF十二ヶ条のミッション:コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である


一、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。


一、一時一事の原則:一度に一つのことだけをお願いします。


一、仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの役を口を守ります。


一、生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように私地震がまず良い生活習慣をこの身に宿します


一、迎合禁止の原則:みなさんへの支援が幇間稽古にならないよう自分の甘さを滅します。


一、起点力(気転力)の原則:触媒としての私の存在がみなさんの気転力となり新たなあスタートへの気転力になることを誓います。


一、期待力の原則:私の存在が皆さんのり将来への不安をなくす触媒となることを誓います。


一、共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。


一、準備の原則:仕事の準備を徹底します


一、予測の原則:関わる人たちの反応を予測し対策を準備します。


一、評価の原則:みなさんが一つの仕事を成就した時に我が事のように慶びそして嬉しさをみなさんに伝えます。


一、継続の原則:運用の継続を第一義に考え触媒としての支援を設計します。

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