2025年7月アーカイブ

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,239通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

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お天道様、今日も何があっても良か日にしますけん観とってください

かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

  民主党政権で日本が潰れてしまったと言う前提です。
 
 平成二十一年(2009年)十二月三十一日に書いた記事です。そのまま書きます。

 さて、私たち国民の不勉強によって、日本は、20××年に潰れてしまっているという前提で「未来日本昔話」を連載しています。とにかく、正しい歴史を学びましょう。まずは、私たちが学校教育で習った歴史、特に現代史は、ほとんど嘘です。また、どなたかから「過激な発言」というお言葉をいただきそうですが、昨日も言いました。嘘の歴史を表現する方が、私からしてみたら、よほど「過激な発言」です。
 自分達が学んだものを捨てるというのは、本当に勇気がいることですが、そうしないと、この未来日本昔話がほんとうの話になってしまう可能性が大です。だって、中国は、それを望んで日本がこうなるように仕掛けているのですから。

 では、おばあちゃんとまさる君の会話です。時は、西暦2100年です。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,237通目です(後で数えなくていいように)。
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 お天道様、今日も何があっても良か日にしますけん観とってください

かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

  民主党政権で日本が潰れてしまったと言う前提です。
 
 平成二十一年(2009年)十二月三十日に書いた記事です。そのまま書きます。

  さて、2100年 日本はつぶれています。おばあちゃんとまさる君の会話です。この未来日本昔話を見て「いいすぎ」とか「書きすぎ」とかおっしゃる方が何人かいらっしゃいます。でも、私からすれば、ありもしなかったことを言う方が「いいすぎ」です。私たちが学校教育で学んできた日本の歴史、特に現代史は、ほとんど嘘なのです。正しい歴史を勉強しましょう。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,236通目です(後で数えなくていいように)。
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 昨日は5,110歩でした。これほど歩きにくい気候は初めてです。命の危険性さえ感じます。言い訳になりますが。

 さて、戦国策です。とにかく支那大陸では「どうやったら殺されないか」が 人間の最大テーマになります。私が支那大陸と申し上げている理由がわかりますか? みなさん支那というと漢民族と思っていませんか? 漢民族は春秋戦国時代に9割死んでいますし、なおかつ、漢民族が支那大陸を統一できたのは、「漢」「明」「現在の支那共産党」だけです。あとは周辺民族の奴隷です。とても恨みの精神が強くなり人を信じなくなっています。なので行動が「汚す」「破壊する」「殺す」になります。ちなみに、周辺民族で支那大陸を征服したことがないのは朝鮮民族だけです。

 とにかく支那大陸には関わらない方がいい。日本は支那大陸との関係を結んでいない時、必ず幸せになっています。菅原道真が唐が人殺しばかりしているのを嫌悪して遣唐使を廃止しました。見事な平安文化が花開きました。当時の世界では信じられない、女性の小説が生まれました。男女差別の酷い欧米支那ロシアは、当時女性がこんなことをしていたらその女性は殺されていました。

「汚い」「破壊する」「殺す」が当たり前の支那大陸で生きるにはどうすればいいか。それがこの戦国策に詰まっています。

 「喧嘩をしてはいけません」と暴力と喧嘩の違いもわからない信じられない愚かなことを母親たちが叫ぶ異常な日本です。そのために欧米支那ロシアアメリカという野蛮国家と戦うこともできない男たちが育っています。

 それを戦国策を通じてみてまいりましょう。戦国策をブログで掲載する目的はここにあります。

  さて、蘇秦の名前は覚えておいてください。昨日も書きましたが、戦国7カ国で最も強力な秦をおさえるために、他の6国をまとめ、合従(がっ しょう)連合をつくって政治家です。でも、そんな蘇秦にも苦節の時代があったことをみてきました。ここ数回のタイトルは「貧窮なれば、父母も子とせず」で す。

 さて、「揣摩(しま)の術」を会得した蘇秦です。

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,235通目です(後で数えなくていいように)。
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 昨日は6,314歩でした。

 11時45分(昨日の)から仕事しています笑。この未明に仕事するととても捗ります。さっき休憩で「トイレの神様(植村花菜さん)」を聞いて泣いていた私です。この歌いいですねえ。心が綺麗になります。

 昨日のお約束❶❷なぜショアのアルゴリズムで難解な素因数分解暗号がとける?&量子力学がなぜこんなにすごいか
 素因数分解で作られたスーパーコンピュータでも解けない暗号をRSA(Rivest-Shamir-Adleman)暗号って言いいます。秘密を守る金庫です。

  RSA暗号って、秘密を守るための「金庫」みたいなものです。でもこの金庫のカギ(=秘密鍵)は、とても大きな数を素因数分解しないと見つけられないようになっています。今のコンピューターでは、それがものすごく大変だから、安全とされているんです。

 ショアのアルゴリズムは量子コンピュータという特別のマシン用の「魔法のレシピ」なんです。どんなレシピかって? 慌てなさんな。今から説明するけん。キーワードは量子コンピュータのレシピのキーワードは「周期」です。素因数分解を突破する時に、その数字と合う周期さえみつければ、その数字が、パカって割れるです。つまり素因数分解をしてしまうんです。


  普通のコンピュータはトンネルをスコップで掘ることしかできないのですが、量子コンピュータは、ドローンで上からトンネルの出口を見つけてしまうことができるんです。量子コンピュータ独特の力「周期」によって。だからめちゃくちゃ速く答えにたどり着けるんです。

 RSA暗号の金庫の安全=素因数分解が難しい

です。逆に言うと素因数さえわかれば誰でも鍵(秘密鍵)を開けることができます。ショアのアルゴリズムはその順番を知っているのです。

  これをこげん簡単に説明するのは専門家さんやったら無理ですね。私は素人だからできます。事実、だいぶん説明をはっしょったり他に置き換えたりしています。これ以上説明したらみんな次からこれを読まんくなるばい。逆に専門家に言わせたら「おい、乱暴すぎる端折り方やないか」と言われます。

原理原則さえわかればいいんです。何でもそうです。今回は、

  • RSA:大きな数を素因数分解できないことが命綱!
  • ショアのアルゴリズム:量子のチカラでそれをサクッと分解!
  • → RSAの安全が危うくなる!
で理解しておけばあなたも量子力学者!!!
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   もうこの無能政府のことを言うのはやめておきますね。石破ももうやめたがっているのでは?こいつでは各国の首脳と渡り合う力も、国民を幸せにする力も、国を守る力もありません。何をしに出てきたんだろう。

かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。

ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」

二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)

❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」

  民主党政権で日本が潰れてしまったと言う前提です。
 
 平成二十一年(2009年)十二月二十五日に書いた記事です。そのまま書きます。
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   今日から七十二候は、夏至 末候 半夏生です。
こんな花です。

   日本は農業国です。これははっきり認識しましょう。七十二候のすべてが農作業にかかわることです。なぜなら農耕は季節や気象に左右されることも多く、農作業の時期や節目を正確に見極める必要があったからです。なので、5日に一度季節がある国なんです。半夏生は特に、半夏生のさくまでには田植えを終えておきなさいという重要な七十二候です。こんなの農林水産省の役人なんか知りませんよね。記者さん、小泉農林水産大臣に「今日は何の日ですか?」と聞いてみてください笑。

 また夏バテを防ぐために、いろいろな地域の食べ物を摂った日でもあります。関西ではタコを食うとか(しらんけど笑)。

 繰り返します。我が日本は農業国です。それは天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にあたえた、三大神勅のうちの一つ斎庭の稲穂の神勅(ゆにはのいなほのしんちょく)にもはっきり示されています。

天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者(支配者ではない)であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に続く)

斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作国家である)

宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)

  これが日本の国体(豊葦原の瑞穂の國)の基本です。

  我が国は、世界で唯一神話の世界から歴史が連続している人間社会の奇跡の国です。天皇陛下(天子様)は、今だにこれに則って生活をされています。その主権者である国民がこれをしらないということでいいのでしょうか? 主権という言葉さえ必要なかった日本ではありますが。もう陛下に大政奉還した方がいいかもしれませんね。きっと陛下は、五箇条の御誓文からまた始められると思います。
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,232通目です(後で数えなくていいように)。
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 今日は亡父 寳德 佳男生誕の日です。昭和二年(1927年)七月一日です。明治の男たちに憧れた父は「俺は明治六十年生まれだ」とよく言っていました。私や姉が小さな頃は、怖くて怖くて口も聞けない父でした。仕事第一の父は台風が来ても会社が心配だと言って家にいなくなってしまうんです笑。残された祖母と母と私たちで雨戸を閉めて雨戸に釘打ちをしていました。

 朝鮮が日本だった頃、北朝鮮の咸興で生まれました。体が弱かったと聞いていますが、朝鮮人100人対日本人10人で喧嘩なんかもしています。大東亜戦争では行きたかった旅順工科大学への道を諦め(成績は常に一番だったそうです)予科練に志願しました。帝国海軍甲種飛行兵第十四期です。もう兵がかなり死んでいて十八歳で専任伍長になり260人の兵を率いていました。
                                                    父十八歳敗戦の年です。

 兵が規則違反をすると父の責任になりけつバットです。でも、それを「俺の管理能力不足だ」と絶対に人の責任にしませんでした。小さい時によく聞かされました。「リーダーというのはな全ての責任を取るんだ」と。「リーダーになるには生まれつきの素養が必要なんだ。誰でもなれるわけではない」とも。さすが、キャプテンラストの海軍です。(The Captain is the lastman to leave the ship.艦長は最後まで船を去るな)。帝国海軍は士官や兵は抜群に強かった。世界最強でした。将軍たち、特に山本五十六が無能でした。

 私に息子ができたときは、それはそれは喜んでわたにくれた手紙には「俺は戦争で死ぬと思ってた。それが生きながらえて、健が生まれそして真大(まさひろ)に繋がった。夢のようだ」と書いてありました。

  出光佐三佐三店主の大ファンでした。

 享年は九十四歳です。令和三年三月十日没。帝国海軍なのに、陸軍記念日に亡くなっています。

 「死ぬのは怖いだろうなあ(父はあと1週間戦争が長引いていたら特攻に行っていた)とはいつも思っていたが、俺が死ねば愛する国家と家族を守ることができるんだという気持ちで日の丸を腹に巻いて死ぬ覚悟だっら。テレビとかでいろいろ戦争のことを悪くいう人間がいるが、当時にはそれを凌駕する精神性があったことをわすれるな」とも。

日の丸の赤いところには字を書いていません。日本人の常識です。

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